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友人Sとのよくある問答
S「君が物を書くのはなんでだ?」
自「書くのが、好きだし楽しいから」
S「それは手段じゃないのか?何か伝えたいものがあるから書くんだろう?」
手段が目的だというのはいけない事なのだろうか?
友人Sに言わせれば「戯言だ」と言われそうですけど…
根本に、読み手の受け取り方は千差万別だというのがあるから
それ以前にまだ、訴えかけられるような腕を持っていないのもあります
友人Sは…、まだ小説というか物語りは書いたことなかったような?
本人が書いたとき、何処まで想いが籠められているか、それが現れているかどうか
楽しみなんですけどね。どうなることやら。
手段と目的
自分は、「手段が目的となっている人」だと思ってます
やりとりの中にあったように
「楽しいから、好きだから」というので書いてますから。
某イベント前は完成させないと思ってそれどころじゃないときもありますけどね(苦笑
で、
そういえば、なんかそういうのを昔どこかで呼んだ記憶があるなぁと
思い探したらでてきました。
PSの奏(騒)都市OSAKA
そのレーベル面に書かれている言葉
Method : 手段
何かをする(もしくはしている)際に必ずでる、
「何故、それをしようとするの?」
という問いかけに答えられる人は少なかったりする
「ただ面白そうだから」
なんて答えを大人達は認めない。
だが実際、目的よりも先に手段があり、その手段にこそ
興味がある場合、彼らは何と言うのだろう?
手段こそが目的という矛盾。手段のためには目的を選ばず、と?
その答えを知りたければ、さあ、先を目指して歩き出そう。
Object : 目的
例えば100mのファイナリスト達は走っている際に
殆ど意識が無いのだと言う。
意識が戻った時に順位が決まっているのだとすれば、
彼らの目的はどこにあるのだろうかな、と。
必要なのは順位や到達よりも大切な、
「走ること、全力で」
そうだとすれば、話は簡単。さあ、前を見て、上を見て走り出そう。
気がつけば、スタートラインも歓声も、後ろにある。
立ち止まる必要は無いのだ。
さて、いま自分は、立ち止まっているのか、歩いているのか、走っているのか
それは、人生全部にか、一つ一つの物事に対して、それぞれなのか
まだ分からないけど
楽しんでやっていこうと思う